砂の丸の乗馬調練場と門外の扇之芝馬場を結ぶ冠木門形式の赤門でした。昭和59年(1984)から翌年にかけての解体修理で当時門に朱が塗られていたことが判明し、以後「赤門」で親しまれるようになりました。 将軍家から嫁を迎えたときなど門を赤く塗るのが一般的ですが、和歌山城の場合は、藩主が居た二の丸御座間の裏鬼門(西南)にあたるので災いを払う目的で赤く塗られたと推測されています。