一の橋の大手門を直進し、一中門跡を右折するとこの二の丸跡に通じます。当時は北東隅に月(着)見櫓、南東隅に太鼓櫓、北方に物見櫓、北西隅に駿河櫓を配置し、これらを多門櫓と塀で結んだ曲輪でした。
浅野時代は「御屋敷」と呼ばれていましたが、徳川時代になってここに藩主の居館である「二の丸御殿」が造営されました。表、中奥、大奥から成る当御殿は江戸城本丸御殿を模したものでした。
明治初年、大坂城へ移築して「紀州御殿」の名で、当時の面影を残していましたが、昭和22年、失火で焼失してしまいました。現在は、桜の季節をはじめ市民の憩いの広場となっています。
現在は芝生が植えられた庭で、市民の憩いの場となっています。