虎伏山頂にそびえる大天守(三層三階)は、小天守(二層二階)、台所、乾櫓(二層二階)、二の門(同)、二の門(楠門)を多門櫓で結んだ連立式天守と呼ばれる様式(天守曲輪(くるわ))です。
弘化3年(1846)7月26日、天守の曲輪に落雷があり天守が焼失しました。その当時幕府は、容易に天守再建を認めていませんでしたが、御三家ということもあって4年後の嘉永3年6月に、焼失前と同型式の天守が完成しました。
この天守は、昭和20年(1945)戦災によって焼失していますが、同33年に鉄筋コンクリートで外観復元されました。しかし、和歌山築城の頃の初代天守は、腰板張りの黒い天守でした。このことは、市立博物館所蔵の「御天守起シ御図面」によって明らかにされています。
和歌山城の天守が、今のように白亜になったのは、嘉永3年の再建時からでした。